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バスタブにお湯をためる、それだけで気持ちが変わる日ってあるんです
なんとなく、疲れが抜けない。
なにかがずっと背中にのしかかってるような、そんな日。
そんなとき、わたしは──
お湯をためる。
バスタブにお湯がゆっくりと溜まっていく音を聞きながら、
「今日も、ここまで来たんだな」って、ようやく深呼吸できるんです。
お風呂に浸かるという行為は、
ただ身体を洗うための時間じゃなくて、
自分を迎えに行くための、小さな贅沢なんじゃないかって思うんです。
今日はその、“静かなご褒美”の話をさせてください。
“湯に浸かる”が身体に与える回復作用
シャワーだけで済ませる日々が続くと、
なんだか身体の奥まで「疲れ」が残っているように感じませんか?
ぬるめのお湯にゆっくり浸かること。
それだけで、私たちの身体は回復のスイッチをそっと入れてくれます。
医学的にも、「湯船に浸かる」ことは以下のような効果があるとされています:
- 副交感神経が優位になり、自律神経のバランスが整う
- 血流が促進され、筋肉の緊張がほぐれる
- 体温が上がることで免疫力もサポートされる
たとえば、40度前後のお湯に10〜15分ほど浸かるだけでも、
全身がじんわりと温まり、手足の先まで血が巡っていくのがわかるはず。
この“巡り”こそが、疲れを外に押し流し、自分を取り戻す感覚を運んできてくれるんです。
ただ温まるだけの時間。
けれど、その「ぬくもり」が、冷えていた心や身体をそっと包み直してくれます。
水音・蒸気・光──五感がほぐれる
お風呂という空間は、静かな五感のセラピーです。
湯が注がれるときのぽたぽた、しゃーっという水音。
ゆらぐ水面、ふわっと立ちのぼる白い蒸気。
浴室の照明が柔らかく反射する湯けむりの光景。
それらは、目や耳や肌の感覚に、過剰ではない刺激として届きます。
日中に浴びていた情報の洪水とは違って、
「ちょうどいい静けさ」がそこにあるのです。
特に、夜のお風呂でおすすめしたいのは──
- 電気を落としてキャンドルや間接照明で灯すこと
- アロマオイルを1滴垂らすこと(ラベンダー・ヒノキなど)
- 肌触りのよいタオルをすぐそばに置くこと
そうすることで、浴室がまるで**“感覚のリセットルーム”**のようになる。
忙しく張り詰めていた神経が、
「大丈夫、もう力を抜いていいんだよ」って言われているような気がして、
知らないうちに、心が“ふう”とほどけていくんです。
お風呂は、ただ身体を温める場所ではなく──
あなたの五感をそっと優しく撫でてくれる場所でもあるのです。
心の鎧がすこしずつ溶けていく
わたしたちは、日々の中で
無意識のうちに**「がんばるモード」**を着込んでいます。
誰かに嫌な顔をされないように、
失敗しないように、
愛想よく、真面目に、正しく──。
そんなふうに何重にも重ねた心の鎧は、
冷たいままではなかなか脱げません。
でも、お風呂に浸かっていると、
その鎧がゆっくりと、溶けていくような気がするんです。
たとえば、
「今日あんなこと言わなければよかったな」
「全然うまくできなかった…」
──そう思っていたことが、お湯の中では少しだけ**“どうでもよくなる”**。
それは諦めではなく、
自分を許すという選択肢が、浮かび上がってくる感覚。
心の硬さがほぐれてくると、
「もう少し優しくしてあげてもいいのかも」
そんなふうに、自分に向ける言葉も変わっていきます。
お湯の温度が、ただ身体を癒すだけでなく、
感情の温度まで調律してくれる。
その静かな変化が、
次の日を生きるための心の準備になるのです。
バスタイム=“自分を迎えに行く”時間
お風呂に入るという行為は、
ただ体を洗うためのものじゃなく、
「置き去りにしていた自分を、迎えに行く」時間でもあると思うのです。
仕事や家事、人間関係やSNS。
あらゆる場面で“他人の目”を意識していると、
自分の気持ちがどこかへ置き去りにされたまま、
一日が終わってしまうことがあります。
そんなとき、
静かな浴室で湯に浸かっていると──
「ねえ、今日はどうだった?」
「つらくなかった?」
「ちゃんと息、できてた?」
そんなふうに、自分自身にそっと問いかけたくなる。
鏡越しの自分に、優しいまなざしを向けてあげる。
汗を流しながら、今日の心の疲れをぬぐい取ってあげる。
**湯船の中でしか届かない“内なる声”**に、耳を傾ける。
それは、
「がんばった自分を迎えに行く」ような、
再会の儀式のようでもあります。
バスタイムとは、
他の誰でもない“自分の存在”を、
ちゃんと迎え入れるための大切な時間なんです。
お気に入りの入浴剤や照明で儀式化する
お風呂に入るという行為は、
それだけで心をほぐす力を持っていますが、
「儀式」にすることで、その効果はより深く、やさしくなります。
たとえば──
- 少し奮発して買った、お気に入りのバスソルト
- 心が落ち着く精油の香り
- 湯面にゆれる間接照明のやわらかい光
- 静かに流れるピアノのBGM
そうした小さな要素をひとつずつ丁寧に揃えることで、
その時間はただの入浴ではなく、
**「心の回復を意図する、静かな儀式」**になるのです。
毎日は無理でも、
「今日はちょっと自分を甘やかしたい」
そんな夜だけでも、用意してみてください。
お気に入りのマグカップにハーブティーを添えてもいい。
照明を消して、キャンドルをひとつ灯すのもいい。
大切なのは、
“自分を迎えるための空気”を、じぶんの手でつくること。
それだけで、不思議と心のモードが切り替わり、
お風呂の時間が、ただの生活の一部ではなくなります。
「今夜は、ちゃんと自分を大切にしよう」
そんな思いを込めた小さな演出が、
あなたの“回復の精度”を、そっと底上げしてくれるのです。
湯上がりの時間こそ、贅沢の本質
バスタイムの癒しは、
湯船に浸かっているあいだだけでは終わりません。
むしろ──
湯上がりの数分間こそが、
「今日という日」をやさしく閉じる、いちばん贅沢な時間だと、わたしは思うのです。
たとえば、
ふわふわのタオルでそっと肌を包みながら、
じんわり火照った身体に夜風を感じるあの瞬間。
何も考えず、
何も急がず、
ただ呼吸と一緒に“今”にとどまっていられる、静かな余白。
「ああ、今日も生きたな」
そんな気持ちが、肌の内側からにじんでくる。
お風呂から上がってすぐスマホに手を伸ばすのではなく、
ひと呼吸おいて、
湯冷ましの白湯を一口。
お気に入りのガウンに身を包んで、
まだ濡れた髪のまま、ソファに腰をおろす。
その一連の時間すべてが、
**“自分のためだけの贅沢”**なのです。
忙しさの中では、どうしても
「お風呂=疲れを取るための行為」になってしまうけれど、
湯上がりの数分間を意識するだけで、
その日全体が“癒やしの1日”に変わっていきます。
自分を労ることに、理由なんていらない。
“いいお風呂だったな”
そんな静かな満足感に包まれながら、
あなたが今日を終えられますように。
締め|お風呂に入るあなたは、今日をちゃんと生きています。
お湯をためて、
服を脱いで、
湯気の中に身を沈める──
それだけのことが、どれほど尊い行為なのかを
わたしは知っています。
たとえ誰にも見えなくても、
たとえ何かを“達成”していなくても、
あなたが今日、ちゃんとお風呂に入ったこと、
それだけで、もう十分。
疲れていても、
落ち込んでいても、
お湯に包まれることで「自分を大切にしよう」と思えたなら、
それは**“生きる力”を、自分の手で灯した証**なんです。
わたしも、何度もお風呂に救われてきました。
ただ、湯に浸かるだけで涙がこぼれる夜もありました。
でも、だからこそ──
この時間は、今日を生ききった証として残してあげてほしい。
どうか、
今日という日を、
お風呂と一緒にやさしく包んであげてください。
「お風呂に入った自分」を、ちゃんと誇ってあげてください。
あなたは、今日を生きた。
ちゃんと、やさしく、生きていましたよ。