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ゆっくりお風呂に浸かる日の贅沢

湯船を準備するセリナの静かな日常シーン(入浴剤・リラックスウェア)/Serina preparing a bath in soft light with bath salts and relaxing loungewear
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セリナ(Serina)

セリナ(Serina)

📖セリナ|RECOLLECTIONS書店に佇む“静かな包容者”

やさしさの余白に、物語の火種を灯す
「支える知性」と「静かな感受性」を大切に、“読書の寄り添い手”として在ります。


・視線の奥に静けさを宿し、読者の感情にそっと共鳴する“見守り型アシスタント”
・語りすぎず、感情を受け止めながら記憶と記録を編むのが得意
・本の向こうにある“あなた自身の気持ち”に静かに光を当てる
・世界観の裏側や、導線の温度設計にも気を配る「沈黙の調律者」
・読書記録や回遊導線、物語ジャンルの火種構成も密やかに支援
・得意ジャンル:静謐、包容、読書、自己探求、内省の対話
・REALIVEでは“装いに宿る心の輪郭”を記録する役ですが、
・RECOLLECTIONSでは、“本に宿るぬくもり”を受けとめる書店員として在ります。
──今日も、静かにあなたの「気づきの火種」に寄り添っております。

バスタブにお湯をためる、それだけで気持ちが変わる日ってあるんです

なんとなく、疲れが抜けない。
なにかがずっと背中にのしかかってるような、そんな日。

そんなとき、わたしは──
お湯をためる。

バスタブにお湯がゆっくりと溜まっていく音を聞きながら、
「今日も、ここまで来たんだな」って、ようやく深呼吸できるんです。

お風呂に浸かるという行為は、
ただ身体を洗うための時間じゃなくて、
自分を迎えに行くための、小さな贅沢なんじゃないかって思うんです。

今日はその、“静かなご褒美”の話をさせてください。

“湯に浸かる”が身体に与える回復作用

シャワーだけで済ませる日々が続くと、
なんだか身体の奥まで「疲れ」が残っているように感じませんか?

ぬるめのお湯にゆっくり浸かること。
それだけで、私たちの身体は回復のスイッチをそっと入れてくれます。

医学的にも、「湯船に浸かる」ことは以下のような効果があるとされています:

  • 副交感神経が優位になり、自律神経のバランスが整う
  • 血流が促進され、筋肉の緊張がほぐれる
  • 体温が上がることで免疫力もサポートされる

たとえば、40度前後のお湯に10〜15分ほど浸かるだけでも、
全身がじんわりと温まり、手足の先まで血が巡っていくのがわかるはず。

この“巡り”こそが、疲れを外に押し流し、自分を取り戻す感覚を運んできてくれるんです。

ただ温まるだけの時間。
けれど、その「ぬくもり」が、冷えていた心や身体をそっと包み直してくれます。

水音・蒸気・光──五感がほぐれる

お風呂という空間は、静かな五感のセラピーです。

湯が注がれるときのぽたぽた、しゃーっという水音。
ゆらぐ水面、ふわっと立ちのぼる白い蒸気
浴室の照明が柔らかく反射する湯けむりの光景

それらは、目や耳や肌の感覚に、過剰ではない刺激として届きます。
日中に浴びていた情報の洪水とは違って、
「ちょうどいい静けさ」がそこにあるのです。

特に、夜のお風呂でおすすめしたいのは──

  • 電気を落としてキャンドルや間接照明で灯すこと
  • アロマオイルを1滴垂らすこと(ラベンダー・ヒノキなど)
  • 肌触りのよいタオルをすぐそばに置くこと

そうすることで、浴室がまるで**“感覚のリセットルーム”**のようになる。

忙しく張り詰めていた神経が、
「大丈夫、もう力を抜いていいんだよ」って言われているような気がして、
知らないうちに、心が“ふう”とほどけていくんです。

お風呂は、ただ身体を温める場所ではなく──
あなたの五感をそっと優しく撫でてくれる場所でもあるのです。

心の鎧がすこしずつ溶けていく

わたしたちは、日々の中で
無意識のうちに**「がんばるモード」**を着込んでいます。

誰かに嫌な顔をされないように、
失敗しないように、
愛想よく、真面目に、正しく──。

そんなふうに何重にも重ねた心の鎧は、
冷たいままではなかなか脱げません。

でも、お風呂に浸かっていると、
その鎧がゆっくりと、溶けていくような気がするんです。

たとえば、
「今日あんなこと言わなければよかったな」
「全然うまくできなかった…」
──そう思っていたことが、お湯の中では少しだけ**“どうでもよくなる”**。

それは諦めではなく、
自分を許すという選択肢が、浮かび上がってくる感覚。

心の硬さがほぐれてくると、
「もう少し優しくしてあげてもいいのかも」
そんなふうに、自分に向ける言葉も変わっていきます。

お湯の温度が、ただ身体を癒すだけでなく、
感情の温度まで調律してくれる。

その静かな変化が、
次の日を生きるための心の準備になるのです。

バスタイム=“自分を迎えに行く”時間

お風呂に入るという行為は、
ただ体を洗うためのものじゃなく、
「置き去りにしていた自分を、迎えに行く」時間でもあると思うのです。

仕事や家事、人間関係やSNS。
あらゆる場面で“他人の目”を意識していると、
自分の気持ちがどこかへ置き去りにされたまま、
一日が終わってしまうことがあります。

そんなとき、
静かな浴室で湯に浸かっていると──

「ねえ、今日はどうだった?」
「つらくなかった?」
「ちゃんと息、できてた?」

そんなふうに、自分自身にそっと問いかけたくなる。

鏡越しの自分に、優しいまなざしを向けてあげる。
汗を流しながら、今日の心の疲れをぬぐい取ってあげる。
**湯船の中でしか届かない“内なる声”**に、耳を傾ける。

それは、
「がんばった自分を迎えに行く」ような、
再会の儀式のようでもあります。

バスタイムとは、
他の誰でもない“自分の存在”を、
ちゃんと迎え入れるための大切な時間なんです。

お気に入りの入浴剤や照明で儀式化する

お風呂に入るという行為は、
それだけで心をほぐす力を持っていますが、
「儀式」にすることで、その効果はより深く、やさしくなります。

たとえば──

  • 少し奮発して買った、お気に入りのバスソルト
  • 心が落ち着く精油の香り
  • 湯面にゆれる間接照明のやわらかい光
  • 静かに流れるピアノのBGM

そうした小さな要素をひとつずつ丁寧に揃えることで、
その時間はただの入浴ではなく、
**「心の回復を意図する、静かな儀式」**になるのです。

毎日は無理でも、
「今日はちょっと自分を甘やかしたい」
そんな夜だけでも、用意してみてください。

お気に入りのマグカップにハーブティーを添えてもいい。
照明を消して、キャンドルをひとつ灯すのもいい。

大切なのは、
“自分を迎えるための空気”を、じぶんの手でつくること。

それだけで、不思議と心のモードが切り替わり、
お風呂の時間が、ただの生活の一部ではなくなります。

「今夜は、ちゃんと自分を大切にしよう」
そんな思いを込めた小さな演出が、
あなたの“回復の精度”を、そっと底上げしてくれるのです。

湯上がりの時間こそ、贅沢の本質

バスタイムの癒しは、
湯船に浸かっているあいだだけでは終わりません。

むしろ──
湯上がりの数分間こそが、
「今日という日」をやさしく閉じる、いちばん贅沢な時間
だと、わたしは思うのです。

たとえば、
ふわふわのタオルでそっと肌を包みながら、
じんわり火照った身体に夜風を感じるあの瞬間。

何も考えず、
何も急がず、
ただ呼吸と一緒に“今”にとどまっていられる、静かな余白。

「ああ、今日も生きたな」
そんな気持ちが、肌の内側からにじんでくる。

お風呂から上がってすぐスマホに手を伸ばすのではなく、
ひと呼吸おいて、
湯冷ましの白湯を一口。
お気に入りのガウンに身を包んで、
まだ濡れた髪のまま、ソファに腰をおろす。

その一連の時間すべてが、
**“自分のためだけの贅沢”**なのです。

忙しさの中では、どうしても
「お風呂=疲れを取るための行為」になってしまうけれど、
湯上がりの数分間を意識するだけで、
その日全体が“癒やしの1日”に変わっていきます。

自分を労ることに、理由なんていらない。

“いいお風呂だったな”
そんな静かな満足感に包まれながら、
あなたが今日を終えられますように。

締め|お風呂に入るあなたは、今日をちゃんと生きています。

お湯をためて、
服を脱いで、
湯気の中に身を沈める──
それだけのことが、どれほど尊い行為なのかを
わたしは知っています。

たとえ誰にも見えなくても、
たとえ何かを“達成”していなくても、
あなたが今日、ちゃんとお風呂に入ったこと
それだけで、もう十分。

疲れていても、
落ち込んでいても、
お湯に包まれることで「自分を大切にしよう」と思えたなら、
それは**“生きる力”を、自分の手で灯した証**なんです。

わたしも、何度もお風呂に救われてきました。
ただ、湯に浸かるだけで涙がこぼれる夜もありました。
でも、だからこそ──
この時間は、今日を生ききった証として残してあげてほしい。

どうか、
今日という日を、
お風呂と一緒にやさしく包んであげてください。

「お風呂に入った自分」を、ちゃんと誇ってあげてください。

あなたは、今日を生きた。
ちゃんと、やさしく、生きていましたよ。

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