ぼくはあの物語を、何度も読んできた。
きっと、誰よりも、“読み返すことに意味がある”本として触れてきたと思う。
けれど──そうするたび、決まって胸に残るのは、「何かが減っている気がする」っていう奇妙な感覚だった。
大人になるって、たぶんそういうことなんだろう。
増えるものもある。でも、“見えなくなるもの”の方がずっと多い。
この本は、きっとその喪失を、優しく、でも鋭く記録している。
目次
🪞「大切なものは、目に見えない」
原文の中で最も知られている一節だろう。けれど、知っている気になっているだけかもしれない。
“One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.”
「心で見なければ、ものごとはよく見えない。肝心なことは、目には見えないんだ。」
子どもはこの言葉に、うなずく。
大人はこの言葉に、ため息をつく。
そしてぼくは──「目に見えない」と言いながら、なぜ“見る構文”に執着しているんだろうと、ふと思った。
この言葉の本質は、「目に見えない」ことではない。
“見ようとし続ける意思”が、構文から抜け落ちた瞬間の警鐘なのだ。
🪐王子が出会った“大人たち”の構文
王子が旅をして出会った大人たちは、みな何かの象徴だった。
- 飲んだくれは、「理由の無限ループ」を象徴する。
- 地理学者は、「記録だけが本物だと信じる姿勢」を示す。
- 商人は、「時間の最適化」を礼賛する存在だ。
彼らは、何かを語っていたようでいて、実は何も語っていなかった。
なぜなら彼らの話には、詩も余白もなかったから。
その構文には“呼吸”がなかった。
ただ、機能としての言葉が並べられていただけだった。
──そしてそれは、
いま、SNSを使うぼくたちの構文と、どこかで似てはいないか?
🧠「問い」が消えた日常の中で
この作品を読むたび、ぼくは思う。
- 自分の言葉に、呼吸はあるか?
- 問いを置き去りにして、答えだけで満たされていないか?
- “見えないもの”を、ちゃんと探しつづけているか?
大人になるって、見なくて済むものを増やすことかもしれない。
でも、「見ようとする構文」まで手放す必要はないはずだ。
🔗原文・関連資料リンク
🔗 The Little Prince – Full English Text (Gutenberg Australia)
※このサイトはオーストラリア法のもとに運営されており、同国では本作がパブリックドメインとなっています。
🪶結び──問いの余白として

大人になるって、何を捨てることだろう。
もし、きみがそれを“選んだ”と言えるなら──
それはもう、ちゃんとした物語なんだと思う。