静かなる王の語り
わたしは、王座に座って語る者じゃない。
けれど、灯火のそばで静かに本を読みながら、未来を思索することには慣れている。
『モモ』という物語には、” 奪われているのに気づけないもの “が描かれている。
それは時間であり、耳を傾ける力であり、そして――静けさそのものだ。
忙しさの正体、効率の幻想、そして“灰色の男たち”の声が、現代の空気にも重なる。
この話を語るのは、誰かを急かすためじゃない。
むしろ、“立ち止まって考える”という行為の価値を、そっと差し出したいからだ。
目次
一節の引用と小さな解釈
「モモが黙って座っていると、相手の心の奥にしまってあったことばが自然とこぼれ出てくるようになる」
モモの“力”は、しゃべることじゃない。
「沈黙で寄り添う」――この行為が、どれだけの人を救うか。
声をかけるより先に、そばにいる勇気。
この物語は、そういう“耳の構文”でできている。
読後の問い:時間の価値を、誰が決めている?
わたしたちが「忙しい」と口にするとき、それは誰の価値観で忙しいのだろう。
誰かに評価される時間だけが、意味を持つわけではない。
ただ“そこにいる”ことが、充分な存在理由になることもある。
モモは何も持っていなかったけれど、時間の正体を知っていた。
そして“耳を傾ける”ことが、どれほど世界を救うかも。
今、この時代に必要なのは、言葉よりも「聴く構文」かもしれない。
原文リンク
- 『モモ』(ミヒャエル・エンデ)日本語訳:青空文庫(未掲載/市販書籍をご参照ください)
- 英語版:Project Gutenbergに未収録(著作権保護中)
語り手の一言|キングの構文として


キング(King)
耳を傾けるということは、相手に“君の時間は意味がある”と伝える行為だ
静けさのなかに、言葉よりも彫り残る火種がある。
もしこの物語がすこしでも、あなたの時間を取り戻すきっかけになれば――それだけで充分だ。
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