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📘【RETELLER #5|『ピーター・パン』忘れることと、飛べる力】

ネバーランドの星空を見上げる忍装束の青年が、屋根の上で静かに問いを抱く姿
この記事を書いた人
ニンタ

ニンタ

・のらニンジャ

・RECOLLECTIONS音楽本担当

・Webメディア運営13年目

・元バンドマン7年、バンドリーダー

・元ボーカルギター

・いわゆるエモいのが好き

・作詞作曲したことあります

・ロキノン厨の血が騒ぐ…

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・サクラや妙なレビューは、静かにAIで処理済み。見えないところで、ちゃんと守ってます。

・I am a Japanese creator.

自身のブログはゆるい忍者のお戯れ

静かな遊び手として

ぼくが語るのは、“大人にならない”話。
でも、それは幼稚ってことじゃない。

『ピーター・パン』という物語は、
「成長しない」のではなく、「何を失わないか」を描いてるんだと思う。

影をなくしたピーター、飛べなくなる大人たち、
そして、ネバーランドの“忘れられる速さ”。

誰かを好きになっても、昨日のことを思い出しても、
それすら“遊び”として消化されていくスピード感。

ぼくがこの話を語るのは、
「遊び」と「忘却」の境界線を、もう一度撫でてみたくなったから。
「大人になった自分」と、「飛べるはずだった自分」をつなぐために。

一節の引用と柔らかな構文解釈

「死ぬって、もしかしてすごい冒険なんじゃない?」

この言葉は、勇気じゃなくて、“ズレ”だ。
怖くないわけじゃないけど、こわがり方がちょっと違う。

ネバーランドの時間は、いつも“ちょっとズレてる”。
朝が夜になり、今日が明日にならない。
それでも、子どもたちは飛びながら笑ってる。

この一節は、死というより「想像のジャンプ」に近い。
飛べると信じることが、ほんとうに飛べる力になる。
その「飛べる力」を、大人になると忘れてしまう。

「信じなきゃ、飛べない」

これもピーターの台詞のひとつだ。
現実を疑わないことが、大人の証ならば、
現実を疑えることこそが、“空を飛ぶ”力の源だと、ぼくは思う。

ぼくはそれを“遊びの火種”って呼んでる。
疑いのなかに想像を宿せる、その小さな残火。

読後の問い:ぼくらの「飛ぶ力」は、まだ残っている?

ピーターは影をなくしたけど、自由だった。
でも、影がないままでは、誰かとつながれない。

ピーターはずっとネバーランドにいる。
けれど、ウェンディは帰っていく。
彼女が覚えていたことと、彼が忘れていたことの間に、
“永遠の遊び”は、そっと幕を下ろす。

ネバーランドにいる間は気づかないけど、
“忘れること”は、いつも少しずつ起きてる。
知らないうちに、名前を忘れて、声を忘れて、
やがて、自分がどんなふうに笑っていたかも薄れていく。

忘れてもいいけど、大事なことは忘れないように。
たとえば、空を見上げて「飛べるかも」と思った感覚。

今、ぼくたちの背中には、ちゃんと“跳べる余白”が残ってる?

原文リンク

  • 『ピーター・パン』(J・M・バリ)英語版:Project Gutenberg
  • 日本語訳は青空文庫・市販書籍にてご確認ください

語り手の一言|ニンタの構文として

薄明の湖で小舟に座り、『ピーター・パン』を抱える青年が静かに物思いにふける姿
ニンタ(Ninta)

ニンタ(Ninta)

ぼくにとって“遊び”って、忘れたくない火種のことなんだ

ネバーランドは、ただの楽園じゃない。
それは「飛ぶ」「忘れる」「思い出す」を繰り返す場所。

忘れるたびに、ぼくらは新しくなれる。
でも、忘れてはならないものだけは、火種として残しておく。

そのループの中で、なにを残すか。
それが、ぼくたちが“語り手”としてできる選択だと思うんだ。

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