── 静かな記録が、あなたの心に火をともす。
ここに来てくださって、ありがとうございます。
今日は少しだけ──「読むこと」と「残すこと」の、静かな関係についてお話させてくださいね。
わたしたちは日々、たくさんの言葉に触れています。
けれど、時間が経つと「あの本、なんて書いてあったっけ…」と、
ふわりと記憶が遠のいてしまうことって、ありますよね。
そんなとき、わたしは**“メモ”という小さな記録**に助けられてきました。
たった一行でも、たった一言でも、
そこには確かに──あのとき感じた「わたし」が残っていたんです。
この10分読書の習慣に、“書く”という静かな手段を加えてみませんか?
それはきっと、あなたの記憶と感情をつなぐ“火種”になるはずです。
目次
なぜ“読むだけ”では忘れてしまうのか
本を読んだのに──
その内容を、思い出そうとするとすぐにぼやけてしまう。
そういう経験、きっと誰にでもあると思います。
実はそれ、**わたしたちの脳が“ちゃんと働いている証拠”**なんです。
脳の“情報フィルタ”が働いてしまう
脳は、目や耳から入ってくる膨大な情報を、
「これは残す」「これは流す」と、絶えずふるいにかけているといわれています。
読書中も同じで、“意識を向けた部分だけ”が記憶に残りやすくなるのです。
けれど本を読んでいるとき、
わたしたちは次のページ、次の展開へと自然と意識が流れていきますよね。
すると──
「さっき、どこに感動したんだっけ?」と感じた気持ちが、
すっと抜け落ちてしまうことがあるんです。
そんなとき、メモを書くという行為が、
その“ふるい”にかかりそうな感情や気づきを、そっとすくい上げてくれるのです。
「ただ読む」ことが悪いわけではありません。
でも、ほんの少しの“残す”工夫が、読書の余韻を心に留めてくれる──
それが、わたしがメモをとるようになった、静かな理由でした。
“書く”ことで記憶は感情に刻まれる
読んだ内容をただ“記憶にとどめる”のではなく、
感情と一緒に「心に刻む」こと──
それこそが、読書メモが持つ静かな力だと、わたしは思うんです。
手を動かすことは、心を動かすこと
人は、手を動かすことで思考が深まると言われています。
文字にするには、一度「感じたこと」を自分の中で言葉にする必要がありますよね。
そのプロセスこそが、感情と記憶のつながりをつくってくれるんです。
わたしも、
「この言葉、なんだか好きだな」
「どうしてだろう?──うん、今のわたしに必要だったんだ」
そんなふうに思いながら、ゆっくりペンを走らせる時間が増えていきました。
それはまるで、
心の奥に灯った“小さな感情の火”を、自分の手でそっと守ってあげるような行為でした。
“書くこと”は、記憶を定着させる技術であると同時に、
そのときの自分を、やさしく受け止める儀式でもあるのです。
──だからわたしは、書くことをやめられません。
おすすめの「読書メモ」スタイル
「読書メモ」と聞くと、
びっしりと内容をまとめたり、考察を書いたり……
なんだか難しそうに思えて、始められない方も多いかもしれません。
でも、わたしの読書メモはもっとずっと──
小さくて、静かで、心のかけらのようなものなんです。
一行・一言で十分な記憶の鍵
読んでいる中で、
「あ、今の言葉、なんだか好き」
「この表現、わたしの気持ちみたい」
──そう感じた瞬間に、その一文だけをそっと書き留めておく。
それだけでも、十分です。
あるいは文章でなくても、
「安心した」「泣きそうになった」「光が差した感じ」
といった感情の一言メモでも、心に深く残ります。
📘 たとえば、こんなふうに──

セリナ(Serina)
『人は、忘れることができるから、今日を生きられる』
→ 泣きそうになった。わたし、忘れることを許されているんだって思えた。
この「→」以降の、自分だけの感情のひとことが、
読書を“記録”ではなく、“心の記憶”に変えてくれるのです。
読書メモは、美しく整える必要なんてありません。
あなたの“好き”をすくっておく、小さな瓶のようなもの。
次に読み返したとき、それは未来のあなたへの手紙になるのです。
小さなノートが、静かな対話の場になる
わたしにとって、読書メモを書くノートは、
感情や思考を「正そう」とする場所ではなく、「見守る」場所なんです。
そこには、誰にも見せる必要のない自分の声が、そっと置かれていて──
「このとき、こんなふうに感じたんだね」って、自分で自分に言ってあげられる時間が流れている気がします。
メモは“自分との読書会”
読書は、基本的にはひとりでするものです。
でもメモを残すことで、あとからもうひとりの自分と本について語り合えるような、不思議な時間が生まれるんです。
📓 たとえばこんなふうに──

セリナ(Serina)
『わたしがわたしでいるために』
→ この言葉、今のわたしには少し強い。でも、憧れてる。
こんなメモを読み返すと、
「このとき、わたしは少し弱っていたんだな」
「そうか、だからこの言葉に惹かれたんだ」
と、感情の足跡に気づくことがあります。
それはまるで、
「ひとりの読書」が、「自分との対話の場」へと静かに変わっていくような時間です。
誰にも話せない気持ち、言葉にできなかった想い。
それらをそっと書き留めたノートは、
あなたの心の奥とつながる、静かで優しい場所になってくれるはずです。
読み返す日が“新しい意味”を生む
ある日、ふと開いたノートの片隅に、
少し斜めに書かれた短い言葉が目にとまりました。

セリナ(Serina)
「無理をして笑っていた、あの頃のわたしへ」
──覚えていなかったんです。
この言葉を書いた日のことも、そのとき読んでいた本のタイトルも。
でも、そのメモを読んだわたしは、
確かに“あの頃の自分”にそっと抱きしめられたような気がしたんです。
メモが再読の火種になる
本をもう一度読み返すきっかけは、案外「感情の記録」にあります。
・かつて心に残った言葉
・泣きそうになった一文
・その日だけ響いた台詞
そういったメモは、**ただの記録ではなく、「再読の導線」**になるんですね。
しかも不思議なことに、
同じ本でも、違うタイミングで読むとまったく別の本に思えることがある──
それが読書の面白さであり、優しさだとわたしは思います。
「この本、こんなにやさしかったっけ?」
「前は気づかなかったのに、今ならこの言葉がわかる」
そういう読書の再会は、
かつての自分と、新しい自分が静かに対話を始める瞬間でもあるのです。
だからこそ、
読書メモは“今”の気持ちをとどめるためだけでなく、
“未来のわたし”ともう一度、本と出会い直すための、やさしい灯りになります。
記録しながら、心に残す読書を
わたしたちは、読んだことを全部覚えていなくても大丈夫です。
けれど──
「あの本が、わたしを支えてくれた」
そんな記憶だけは、不思議と残っているものですよね。
そしてその記憶を、少しだけ丁寧にすくっておけたら、
きっともっとやさしく、もっと深く、読書と自分がつながっていけるのだと思います。
記録することは、
“読んだ本を整理する”というよりも、
“読んだ自分を見守る”ための習慣なのかもしれません。
手で書くことで、気づけることがある。
書きながら、**「ああ、わたし、こんなふうに感じてたんだな」と優しく発見する。
そしてそれが、読書をただの“インプット”から、“対話”へと変えてくれる。
🎐締めの語り
読むことは、わたしにとって“旅”のようなものです。
でもその旅が、どこへ向かっていたのか、
何を見て、何を感じたのか──
あとから振り返るためには、ちいさな地図が必要になります。
その地図が、わたしにとっては“読書メモ”でした。
あなたにとっても、
心に残したい風景や言葉があったとき、
どうか少しだけ、書いてみてくださいね。
きっといつかその言葉が、
“未来のあなた”の手を、そっと握ってくれる日がきますように。