──これは、“知っているようで、知らない物語”。
こんにちは、語り部のミリアです。
あなたがこの本の名前を初めて聞いたのは、いつでしたか?
幼いころの絵本かもしれません。
映画の中かもしれません。
もしかしたら、誰かの言葉の中に紛れていたのかもしれませんね。
『不思議の国のアリス』。
この物語は、読むたびに姿を変えます。
それは、わたしたちの記憶が、夢と現実のあわいにあるからです。
アリスは、ある日ふと、白ウサギを追いかけて地下の世界に落ちていきます。
時計を持ったウサギ、しゃべる花たち、紅茶会、トランプの兵士たち。
どれもが奇妙で、でもどこか既視感があって──
まるで、わたしたちの心のどこかに住んでいる存在のようです。
目次
◆ 原文の声を聴く
『不思議の国のアリス』は、いま、パブリックドメインとして誰でも読むことができます。
たとえば、こんな一節があります。
“It’s no use going back to yesterday, because I was a different person then.”
──「昨日に戻っても仕方がないわ。あのときの私は、もう私じゃないから。」
この言葉は、アリスが変化の中にいることを、すでに知っている証です。
わたしたちもまた、気づかないうちに、昨日とは違う誰かになっているのかもしれません。
また、こんな問いかけもあります。
“Who in the world am I? Ah, that’s the great puzzle.”
──「私はいったい誰なの? ああ、それがいちばんの謎だわ。」
このセリフには、自己というもののあやふやさ、名前や肩書きでは答えられない“存在”の問いが込められています。
▶️ 原文はこちら:Project Gutenberg Alice’s Adventures in Wonderland
◆ 見えないものたちの導き
アリスの前に現れるのは、白ウサギ、帽子屋、チェシャ猫、そして赤の女王。
彼らは、まるでナビゲーターのように、彼女を“迷わせながら導く”存在です。
彼らの言葉は、時に意味不明で、時に鋭く真理を突いてきます。
“We’re all mad here. I’m mad. You’re mad.”
──「ここではみんな狂ってるよ。ぼくだってそうだし、きみもそうさ。」
常識の外側で交わされる対話は、読み手の中の“固定観念”を少しだけほぐしてくれます。
“Why, sometimes I’ve believed as many as six impossible things before breakfast.”
──「時には、朝ごはんの前に6つも不可能なことを信じているのよ。」
この言葉は、現実の制約を超える想像力の広がりを、まるで軽やかに肯定してくれます。
アリスが体験する不条理は、そのまま“発想の自由”であり、世界の捉え方の練習なのです。
◆ 読むという、眠りの中の目覚め
この物語は、夢の中を彷徨っているようでいて、どこかで“醒めている”感覚があります。
それは、言葉が記憶に触れて、読者自身の深層にふれてくるからかもしれません。
たとえば、読んでいるうちに、自分が子どものころに見た夢の断片を思い出したり。
何気なく交わした大人たちの会話が、急に不思議に思えたりする。
──本を読むという行為は、現実に戻るのではなく、
“まだ知らない現実”に触れる扉を開くことなのかもしれません。
『アリス』は、意味を明かさずに問いを投げかけてきます。
──「あなたは、どこから来て、どこへ向かうの?」
その問いに、正しい答えはありません。
けれど、ページを閉じたあと、心のどこかに灯る何かがある。
それがこの本の、“目に見えない贈りもの”なのです。
◆ 静かな言葉で、また会いましょう
読書とは、とても静かな旅です。
けれどその静けさの中に、誰かの声が、確かに響いてくることがあります。
アリスの声が、あなたに届いたなら。
それは、きっとあなた自身が、いま、自分の物語を歩いているという証です。
そして、私たちが読むのは、ただ“本の物語”ではなく、
“わたし”という存在が、何を感じるか──という記録でもあるのです。
また別の本の中で、お会いしましょう。
──語り部 ミリア