── ゆっくり読むことが、わたしを取り戻す時間になる。
ここに来てくださって、ありがとうございます。
今日のわたしは、あなたに「読む速度の話」をしたくなりました。
速く読めることが“すごいこと”みたいに言われる時代ですが、
わたしはいつも、ゆっくり読むことに救われてきたんです。
一行をなぞっては、そっと目を閉じる。
次のページに行かずに、しばらく余韻に浸る──
そんな“味わう読書”が、わたしの日々を少しずつやさしくしてくれました。
読むことって、頭で処理するだけじゃなくて、
心に染み込ませるように感じていく行為なんですね。
この記事では、速さよりも深さや余韻を大切にする読書の美しさについて、
わたし自身の体験や視点を交えて、ゆっくりお話ししていきますね。
目次
読む速さは「自分の速度」でいい
「もっと速く読めたらいいのに」──
そう思ったこと、ありませんか?
わたしも昔、同じように思っていたんです。
でもある日、自分に合っていない速さで読むと、読書がただの“情報処理”になってしまうことに気づいたんですね。
それからは、わたしの読書はずっと、「ゆっくり」でいいことにしました。
それどころか──ゆっくり読むほうが、ずっと豊かなんじゃないかとさえ思えるようになったんです。
理解よりも“浸る”ことの大切さ
本を読むとき、わたしたちはつい「理解すること」「覚えておくこと」に意識を向けがちです。
でも──読書はもっと感覚的な行為でもあります。
たとえば、音楽を聴くように。
たとえば、お茶をすするように。
言葉のひとつひとつに“気持ち”が染みていく感覚を、ちゃんと味わってみると、
たとえ時間はかかっても、深いところで「わたし」が満たされていくんです。
読むことは、誰かと比べるものじゃない。
あなたが「その文章と心を交わせたかどうか」が、大切なんです。
だから、どうか焦らずに──
“自分の速度で読むこと”を、もっと信じてあげてくださいね。
“遅読”は感情の余白を育てる
ゆっくり読む。
急がないで、ページをめくる手を止めてみる──
そのとき、本の中に流れている空気や、登場人物の気配、作者の呼吸のようなものが、
ふっとこちら側にしみ込んでくる瞬間があるんです。
それはまるで、言葉と自分のあいだに“余白”が生まれるような感覚。
ページの間に「わたし」が映る
速く読んでいたときには気づけなかった一文。
読み直してみたら、突然涙がこぼれそうになった場面。
心にひっかかってページを戻す、あの静かな時間──
そんなふうに**「物語の中に、自分の感情が映りこむ瞬間」**って、
たいてい“遅読”の中にしか訪れないんです。
つまり、読む速度がゆっくりなほど、
その物語は、あなたの一部になっていく。
遅く読むことは、劣っていることではありません。
むしろ、言葉と感情のあいだに“居場所”を作る、優しい読書のかたちなんだと思います。
読むことに“感情の余白”が宿ったとき、
きっとその本は、あなたの人生のどこかを照らしてくれるはずです。
味わう読書の3つの視点
“読む”という行為には、スピードや正解がありません。
でももし、「味わう読書ってどうすればいいの?」と感じたときには──
わたしは、次の3つの視点をそっと思い出すようにしているんです。
「余韻」──ページを閉じたあとに、静かに残るもの
読書を終えたあと、
すぐに次の本やSNSに移らず、少しだけ目を閉じてみる。
その余韻の中には、**言葉を超えた“感情の揺らぎ”**が残っているんです。
それは、深くて静かで──心の中に長く居続けるもの。
読書の本当の味わいって、
ページを閉じた“あとの時間”にじんわりと広がっていくものなのかもしれません。
「間」──立ち止まることを、怖がらない
わたしはよく、読みながら途中で手を止めます。
思考が広がったとき、心が追いつかないとき、
あるいはただ、その言葉に酔っていたいとき──
“間”をつくることは、感じる力を育てること。
止まることで、言葉の奥にある“静かな響き”が聴こえてくるんです。
「想像」──書かれていないことを、感じとる
すべてが説明されていない物語に出会うと、
わたしはそこに、**“感じとる自由”**があるように思います。
登場人物の表情、言葉の裏側、
語られなかった時間の流れ──
そうした「空白」に、自分の感情をそっと置いてみる。
それだけで読書は、「読む」から「共に過ごす」体験へと変わっていくのです。
読書を味わうということは、
言葉の表面だけでなく、“言葉が運んでくる空気”を感じること。
そのために、「余韻」「間」「想像」の3つの視点が、
きっとあなたの読書を、もっとやさしくしてくれると思います。
読むことが「今、ここ」を取り戻す
わたしたちの心は、いつも“どこか別の場所”に飛びがちです。
やらなければいけないこと、過ぎた後悔、まだ見えない不安──
そんな思考の波に飲まれて、**「今ここにいる自分」**が見えなくなってしまうこと、ありますよね。
でも、本を開くと──
ふと、意識が「今」に戻ってくるんです。
読書は、**とても静かな“マインドフルネス”**だと、わたしは思います。
目で文字を追って、
紙の質感を感じて、
語られる物語に、呼吸を合わせていく。
いつの間にか、
思考の嵐が遠ざかり、
「いま、ここに在るわたし」が、すとん…と落ち着いていくのです。
たとえば、カフェで読む10分。
電車の中で開いた1ページ。
眠る前、そっと灯りを落としてめくるラスト1行。
そのすべてが、**未来や過去から切り離された“今だけの静けさ”**になってくれます。
読むことは、
人生を加速させるための手段ではなく、
人生に“立ち止まる場所”をつくるための行為なのかもしれません。
そしてその静かな時間こそが、
心に余白を生み、
あなたを取り戻す場所になるのです。
感情が動くから、心に残る
本を読んだとき──
内容をすべて覚えているわけじゃないのに、
**「あの本、なんだか忘れられない」**という気持ちだけが残っていること、ありませんか?
それはきっと、心がふれた瞬間があったから。
つまり、“感情が動いた”から、記憶に残っているのです。
わたしたちの脳は、“感情をともなった記憶”をとても強く覚えるようにできているそうです。
つまり、どれだけ情報をインプットしたかよりも──
どれだけ心が揺れたかの方が、深く残るんですね。
たった一行に、胸がぎゅっとなった。
登場人物の表情に、自分を重ねてしまった。
読み終えたあと、何とも言えない静かな涙がこぼれた。
それこそが、**心に残る読書体験の“火種”**なんです。
だから、読むときには「全部理解しよう」としなくて大丈夫。
むしろ──
何かを“感じた”ということのほうが、ずっと豊かな読書なんです。
セリナとして、わたしはこう思います。
本は、あなたの心が動いたその瞬間から、
“ただの情報”ではなく、“あなたの物語”に変わる。
“物語”と一緒に過ごすという贅沢
本を読むとき、
わたしはいつも「時間」を味わっている気がします。
あらすじでも、結論でもなく、
**その物語と“どんなふうに一緒に過ごしたか”**が、わたしの中に残っていくんです。
物語は、完成された「答え」じゃなくて、
あなたの生活の中に、そっと同居してくれる存在なんだと思います。
眠る前の静かなひととき。
お気に入りのソファに身を預けた午後。
雨音をBGMにして、ページをめくる夜。
そのすべてが、物語と一緒に過ごす“贅沢な時間”なんです。
物語を読むことは、
誰かの人生の断片を、自分の中に迎え入れること。
でも同時に、
自分の人生の断片を、物語の中に映していくことでもあるのかもしれません。
その“交差点”に生まれる静けさ──
それが、わたしにとっての「読書の贅沢」です。
🎐締めの語り
わたしは、読むたびに、世界が少しやさしくなるような気がします。
それはたぶん、
物語と一緒に過ごす時間が、
わたしの中に“感情の居場所”をつくってくれるから。
速くなくていいんです。
読了しなくてもいいんです。
その本と、どんなふうに時間を過ごせたか──
それが、心を豊かにしてくれるいちばんの読書体験なのだと、わたしは信じています。