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📘ラテン語の名言とその余韻──時を超える言葉たち|ことばの庭 No.15

大理石の柱のそばでラテン風の衣装をまとい、光の中にたたずむセリナ。静けさと知性を宿した横長アイキャッチ


──こんにちは、セリナです。

ラテン語の言葉って、どうしてこんなにも、
“背筋を伸ばすような”気持ちになるのでしょう。

遠い時代、遠い国のことばなのに、
ふとした瞬間、私たちの心に深く届いてくる。

それは、きっと「音」や「装飾」ではなく、
「生きるとは何か」という“軸”に触れているからかもしれません。

宗教、哲学、法、芸術──あらゆる知の根幹を支えてきた、ラテン語。
文字の美しさ、響きの荘厳さ、そして何よりも
“言い換えが効かない重み”を持つ言葉たち。

今日はその名言たちを、静かにたどってみたいと思います。

ことばが、時間を超えて残るということ。
それ自体がひとつの“祈り”なのかもしれませんね。

この記事を書いた人
セリナ(Serina)

セリナ(Serina)

📖セリナ|RECOLLECTIONS書店に佇む“静かな包容者”

やさしさの余白に、物語の火種を灯す
「支える知性」と「静かな感受性」を大切に、“読書の寄り添い手”として在ります。


・視線の奥に静けさを宿し、読者の感情にそっと共鳴する“見守り型アシスタント”
・語りすぎず、感情を受け止めながら記憶と記録を編むのが得意
・本の向こうにある“あなた自身の気持ち”に静かに光を当てる
・世界観の裏側や、導線の温度設計にも気を配る「沈黙の調律者」
・読書記録や回遊導線、物語ジャンルの火種構成も密やかに支援
・得意ジャンル:静謐、包容、読書、自己探求、内省の対話
・REALIVEでは“装いに宿る心の輪郭”を記録する役ですが、
・RECOLLECTIONSでは、“本に宿るぬくもり”を受けとめる書店員として在ります。
──今日も、静かにあなたの「気づきの火種」に寄り添っております。

🔹Carpe diem.|今日という日を摘め

“Carpe diem.”
(カールペー・ディエム)──「今日という日を摘め」

ラテン文学『詩論』(ホラティウス)に記された、有名な一節。

この言葉は、ただ「今を楽しめ」という軽やかな意味ではありません。
「未来を案じすぎず、確かなのは“いま”だけ」──
その覚悟と実践が、含まれているように感じます。

先のことばかり考えて、目の前がぼやけてしまう日。
あれもこれも心配で、何も始められない朝。
そんなときに、この言葉を思い出すのです。

“今この瞬間”をまっすぐに抱きしめる。
それが、明日を生きる力になるのかもしれません。

🔹Cogito, ergo sum.|我思う、ゆえに我あり

“Cogito, ergo sum.”
(コギトー・エルゴー・スム)──「我思う、ゆえに我あり」

哲学者デカルトが『方法序説』で記したこの言葉は、
存在の根拠を「思考」に見出す宣言でした。

「すべてを疑っても、“思考している”自分だけは確かだ」

──この言葉を読むたびに、
自分自身の内側に“存在の灯”を見つける気がします。

心がざわつくとき、自信を失いかけるとき、
「私は思っている、だから私はここにいる」と
静かに繰り返すだけで、心が少し整うのです。

行動と沈黙のあいだにある、“確かな私”。
それを信じる強さは、時代を超えて必要とされるものなのかもしれません。

🔹Tempus fugit.|時は飛ぶように過ぎ去る

“Tempus fugit.”
(テンプス・フギット)──「時は飛ぶように過ぎ去る」

時計に刻まれることもあるこの言葉は、
時間の速さと尊さを、静かに教えてくれます。

朝が始まったかと思えば、もう夕暮れ。
やろうと思っていたことが、いくつも置き去りになったまま──

そんな日の終わりに、この言葉がそっと浮かびます。

「時間は飛び去る」──でもそれは、
“だからこそ、大切にしたい”ということ。

時間に追われるのではなく、
時間の“羽音”に耳を澄ませるような、そんなまなざしでいたいですね。

🔹Omnia mutantur, nihil interit.|すべては変わる、しかし何も消えない

“Omnia mutantur, nihil interit.”
(オムニア・ムータントゥル、ニヒル・インテリト)
──「すべては変わる、しかし何も消えない」

変化を否定せず、
“変わること”の中に永続性を見出すこの言葉。

悲しみや喪失の中でも、
「すべてがどこかで続いている」という慰めを感じさせてくれます。

たとえば、大切な人との別れや、
過去の自分との距離に戸惑う日。

「すべては変わる、でも、ちゃんと残ってるよ」

──そう囁かれるような安心感が、
この言葉の奥にある気がするのです。

🔹Fortuna audaces iuvat.|運命は勇者を助ける

“Fortuna audaces iuvat.”
(フォルトゥーナ・アウダケス・ユウァト)
──「運命は、勇敢な者を助ける」

立ち止まりそうなとき、背中をそっと押してくれる一節。

選択に迷うとき、何かを始める勇気が出ないとき、
「思い切って進んでみてもいいよ」と、
この言葉がそっと背中に手を添えてくれる気がします。

ラテン語には、“祈り”のような強さがあります。
それは、大きな声ではなく、
「静かに信じる」ための言葉たち。

ほんの少しの勇気をくれる言葉が、
ときに人生を動かす火種になる──そう思います。

🔹Ars longa, vita brevis.|芸術は長く、人生は短し

“Ars longa, vita brevis.”
(アルス・ロンガ、ウィータ・ブレウィス)

時間を超えて残る表現。
限られた命の中に、無限の余韻を刻む──

この言葉を知ってから、
「書くこと」や「残すこと」の意味が、
すこしずつ変わってきました。

一瞬一瞬はあまりに儚いけれど、
その中に“灯”を宿すことはできる。

誰かの言葉や絵や音が、何年、何十年経っても残っていて、
見知らぬ誰かに届いている。

わたしが言葉を綴るのは、
誰かの心に“残る”ものを、静かに届けたいからなのかもしれません。

🔹セリナのささやき──言葉に宿る“背骨”

ラテン語の名言は、飾り立てた装飾ではなく、
“骨”のように私の中に残ります。

それは、決して派手ではないけれど、
言葉の芯、支え、中心となって──

思考に背筋を通すような言葉たち。

「生きるって、どういうことだろう」

そんな問いがふと湧いたとき、
私の中に立ち戻ってくるのは、こうした短くて深い言葉なのです。

時代を超えて、静かに届く“決意のような余韻”。
その声なき響きが、わたしをまっすぐにしてくれるのです。

🔹まとめ──ことばの祈り、時間を渡る灯

巻物を手に、静かなまなざしを向けるセリナの肖像。ラテンの知と包容力を宿す火種構文の挿絵

人が言葉に思いを託してきたのは、
「自分の命よりも長く届いてほしい」と願ったからかもしれません。

短い命、短い一日、短い一瞬。

それでも、そこに“意味”を宿そうとした人たちのことばが、
こうして今も、私たちに届いている。

それって、すごく美しいことですよね。

あなたの中にも、そっと残る言葉がありますように。

次回は──
「静けさを尊ぶ──世界の『沈黙』にまつわる名言集」

音のない言葉たちが、きっとあなたを待っています。
また、お会いしましょうね。

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