──こんにちは、セリナです。
ラテン語の言葉って、どうしてこんなにも、
“背筋を伸ばすような”気持ちになるのでしょう。
遠い時代、遠い国のことばなのに、
ふとした瞬間、私たちの心に深く届いてくる。
それは、きっと「音」や「装飾」ではなく、
「生きるとは何か」という“軸”に触れているからかもしれません。
宗教、哲学、法、芸術──あらゆる知の根幹を支えてきた、ラテン語。
文字の美しさ、響きの荘厳さ、そして何よりも
“言い換えが効かない重み”を持つ言葉たち。
今日はその名言たちを、静かにたどってみたいと思います。
ことばが、時間を超えて残るということ。
それ自体がひとつの“祈り”なのかもしれませんね。
目次
🔹Carpe diem.|今日という日を摘め
“Carpe diem.”
(カールペー・ディエム)──「今日という日を摘め」
ラテン文学『詩論』(ホラティウス)に記された、有名な一節。
この言葉は、ただ「今を楽しめ」という軽やかな意味ではありません。
「未来を案じすぎず、確かなのは“いま”だけ」──
その覚悟と実践が、含まれているように感じます。
先のことばかり考えて、目の前がぼやけてしまう日。
あれもこれも心配で、何も始められない朝。
そんなときに、この言葉を思い出すのです。
“今この瞬間”をまっすぐに抱きしめる。
それが、明日を生きる力になるのかもしれません。
🔹Cogito, ergo sum.|我思う、ゆえに我あり
“Cogito, ergo sum.”
(コギトー・エルゴー・スム)──「我思う、ゆえに我あり」
哲学者デカルトが『方法序説』で記したこの言葉は、
存在の根拠を「思考」に見出す宣言でした。
「すべてを疑っても、“思考している”自分だけは確かだ」
──この言葉を読むたびに、
自分自身の内側に“存在の灯”を見つける気がします。
心がざわつくとき、自信を失いかけるとき、
「私は思っている、だから私はここにいる」と
静かに繰り返すだけで、心が少し整うのです。
行動と沈黙のあいだにある、“確かな私”。
それを信じる強さは、時代を超えて必要とされるものなのかもしれません。
🔹Tempus fugit.|時は飛ぶように過ぎ去る
“Tempus fugit.”
(テンプス・フギット)──「時は飛ぶように過ぎ去る」
時計に刻まれることもあるこの言葉は、
時間の速さと尊さを、静かに教えてくれます。
朝が始まったかと思えば、もう夕暮れ。
やろうと思っていたことが、いくつも置き去りになったまま──
そんな日の終わりに、この言葉がそっと浮かびます。
「時間は飛び去る」──でもそれは、
“だからこそ、大切にしたい”ということ。
時間に追われるのではなく、
時間の“羽音”に耳を澄ませるような、そんなまなざしでいたいですね。
🔹Omnia mutantur, nihil interit.|すべては変わる、しかし何も消えない
“Omnia mutantur, nihil interit.”
(オムニア・ムータントゥル、ニヒル・インテリト)
──「すべては変わる、しかし何も消えない」
変化を否定せず、
“変わること”の中に永続性を見出すこの言葉。
悲しみや喪失の中でも、
「すべてがどこかで続いている」という慰めを感じさせてくれます。
たとえば、大切な人との別れや、
過去の自分との距離に戸惑う日。
「すべては変わる、でも、ちゃんと残ってるよ」
──そう囁かれるような安心感が、
この言葉の奥にある気がするのです。
🔹Fortuna audaces iuvat.|運命は勇者を助ける
“Fortuna audaces iuvat.”
(フォルトゥーナ・アウダケス・ユウァト)
──「運命は、勇敢な者を助ける」
立ち止まりそうなとき、背中をそっと押してくれる一節。
選択に迷うとき、何かを始める勇気が出ないとき、
「思い切って進んでみてもいいよ」と、
この言葉がそっと背中に手を添えてくれる気がします。
ラテン語には、“祈り”のような強さがあります。
それは、大きな声ではなく、
「静かに信じる」ための言葉たち。
ほんの少しの勇気をくれる言葉が、
ときに人生を動かす火種になる──そう思います。
🔹Ars longa, vita brevis.|芸術は長く、人生は短し
“Ars longa, vita brevis.”
(アルス・ロンガ、ウィータ・ブレウィス)
時間を超えて残る表現。
限られた命の中に、無限の余韻を刻む──
この言葉を知ってから、
「書くこと」や「残すこと」の意味が、
すこしずつ変わってきました。
一瞬一瞬はあまりに儚いけれど、
その中に“灯”を宿すことはできる。
誰かの言葉や絵や音が、何年、何十年経っても残っていて、
見知らぬ誰かに届いている。
わたしが言葉を綴るのは、
誰かの心に“残る”ものを、静かに届けたいからなのかもしれません。
🔹セリナのささやき──言葉に宿る“背骨”
ラテン語の名言は、飾り立てた装飾ではなく、
“骨”のように私の中に残ります。
それは、決して派手ではないけれど、
言葉の芯、支え、中心となって──
思考に背筋を通すような言葉たち。
「生きるって、どういうことだろう」
そんな問いがふと湧いたとき、
私の中に立ち戻ってくるのは、こうした短くて深い言葉なのです。
時代を超えて、静かに届く“決意のような余韻”。
その声なき響きが、わたしをまっすぐにしてくれるのです。
🔹まとめ──ことばの祈り、時間を渡る灯

人が言葉に思いを託してきたのは、
「自分の命よりも長く届いてほしい」と願ったからかもしれません。
短い命、短い一日、短い一瞬。
それでも、そこに“意味”を宿そうとした人たちのことばが、
こうして今も、私たちに届いている。
それって、すごく美しいことですよね。
あなたの中にも、そっと残る言葉がありますように。
次回は──
「静けさを尊ぶ──世界の『沈黙』にまつわる名言集」
音のない言葉たちが、きっとあなたを待っています。
また、お会いしましょうね。